増田達治 煤墨の世界

2016年02月

  私はなぜ「高校展」と「教員展」を重要だと考えるのか?

 まず生徒作品による「高校展」について言えば、会場に展示されている「生徒の作品は指導者の全てを映し出す鏡」だからです。

 生徒作品を見れば、その指導者が書というものをどう考え、どのような書を良しとし、書を通して生徒に何を伝えようとしているのか、あるいは生徒の個性や新たな可能性をどのように引き出そうとしているのかなど、指導者の書道観、書道教育に対する哲学や熱意、具体的実践の様子、そしてまた実作者としての実力が、手に取るように分かるからです。

 「高校展」は生徒作品の発表の場でありながら、教育者の立場から見れば、実はそれ以上に指導者の教育実践の成果を発表する(世に問う)場であり、指導者自身の熱意と指導力がはっきりと浮かび上がり、確認できる場でもあるのです。
 つまり、指導者その人が創り上げた自らを投影する自身の通知表であり、指導者の姿そのものだとも言えるのです。
 
 私は「高校展」を観る時、個々の生徒作品と学校全体の展示風景の向こう側に見える指導者その人の姿を常に観ています。

 展示された当該校の生徒作品群は、その指導者の熱意と実力以上のものでもそれ以下のものでもなく、如実にまた正直に指導者の姿を映し出すが故に、生徒作品は指導者を映し出す“鏡”なのです。

 そしてこの「教員展」。
   これはまさに指導者自らの作品ですから、当然、逃げも隠れもできないその先生自身の姿が作品となってはっきりと現れます。
 書の芸術性をどのように捉え、書の歴史をどのように学び、修行してきたのか?。そして今、書作にどう向き合い、どんな作品を目指しているのか?。一点の作品を見ることでその先生の書芸術に対する姿勢や作品を創り出す力が鮮明に浮かび上がります。

 「高校展」の生徒作品と「教員展」での先生の作品、この二つはその先生自身の表裏一体の姿であり、おそらく両者はほぼ完全に過不足なく符号するもの、と私は思っています。

 高等学校等における書道教育に関わる全ての指導者を対象とするこの研究会の会員は、少なくともこの二つの事業には主体的、積極的に参加し(もちろん、研究会にはこの他にも意義のある事業や研究、研修などが沢山あります)、高い意識で取り組みながら相互に批評し合い、自らの創作力と指導力を倦むことなく切磋琢磨してさらに質の高い、より良い授業を目指してほしい、と私は願っているのです。

教員展5341

 それにしても、本当に堅苦しい内容、文章で申し訳ありません。関係者には肝に銘じていただきたいと心から願う内容ですが、一般の方にはきっと退屈だろうなぁ…と。結構熱くて根が真面目?なもんで…。

 そしてその「教員展」に一点、きらりと光る作品を発見!。次回はそれを紹介します。 

  平成20年度から7年間開催が途絶えていた「大阪府高等学校書道教員展」が今年度、遂に復活開催されました。(H28.2/5~7  於.エルおおさか) 

  府内の公私立高等学校および支援学校高等部の書道教員により組織された「大阪府高等学校書道教育研究会」の事業の一つで、文字通り日頃、生徒たちに書道を教えている先生方の書作品展です。

 私はとうの昔にこの研究会を離れていますが、心からこの展覧会の復活を願っていました。

 書道教育に関する研究・研修・調査等を目的とするこの研究会の事業には様々なものがありますが、その中でもとりわけ重要だと私が考えているのがまず、「高校展」。
 これは書道の授業や部活動等の中で生まれた生徒作品の展覧会で、無審査=アンデパンダン形式なので、各学校が自由に作品を発表することができます。(毎年1月末頃の6日間、大阪市立美術館にて開催)。

 そしてもう一つの大切な事業が、この「教員展」です。

 なぜ、この二つの事業が重要なのでしょうか・・・・・?
 
2教員展5340
  復活開催した「教員展」の会場風景。
 この展示室の突き当りを右に進むと、その奥に第2室がありました。出品点数は全64。久しぶりにお会いした現役の先生方と、この展覧会や作品のこと、学校現場や研究会の現状等について話し込んでいる内にあっという間に時間切れ。しっかりと写真を撮らぬまま、急いで会場を後にしてしまいました。

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