増田達治 煤墨の世界

2013年11月

 さて、私の作品を観ていただく前に、これも個展準備に突入してしまって、ずっと紹介ができないまま気になっていた安達蕉苑さんの作品を紹介しておきます。

 9月17日(火)~22日(日)の六日間、京都三条のギャラリー ヒルゲート1Fで、「安達蕉苑書作展 人に猫」が開催されました。
 安達さんは、私が評価する数少ない(と言うか、ほとんどいないのですが…)書作家です。最近は京都の三条にて隔年で個展を開催されています。

 私が訪ねたのは21日の土曜日。

大地(安達)
 さてこの作品「大地」(1100×800)、私はこれを見て思わず、「よくもまぁ、こんな下手くそで阿呆みたいな字を書いたもんやね!。こんなの、なかなか書けないわ。」と彼女に言いました。
 
 もちろんこれは全くの褒め言葉です。この「大」という字、何とも面白い!。

 日展、毎日展などの書家先生にはとても書けない生き生きとした字、授業中に高校生が無心になって書いたような伸び伸びと大らかな、そしてちょっとひょうきんな字です。決して奇を衒ってはいません。全く厭味のない字です。

 しかし、彼女は確かな技術を持っています。無造作に見えながら実は筆はかなり複雑に動いており、特に三画目の筆の動きや一文字の造形は絶妙です。そして「地」の字も「大」をしっかりと受け止め、決して常識的で在り来たりの造形・構成に陥ることなく、最後まで集中と緊張を切らさずに作品世界を生き切っています。

 彼女自身にも再びこうは書けないでしょう。なぜならこれは芸術作品であり、彼女もこれを再びなぞるつもりは毛頭なく、瞬間瞬間を新たに生きようとしているからです。だからもしもう一度「大地」を書いたら、今度はこれとはまた違った面白い「大地」が誕生することでしょう。
 
 かつて日展の頂点にいた大書家先生は、長条幅・多字数の作品を何度書いても何枚書いても寸分違わず全く同じように書ける、と自慢げに話したということです。職人さんならともかく、これは自分は芸術家ではありません、と宣言しているようなものです。

   安達さんは決して自分をなぞろうとはしません。新たな紙に向かうその瞬間瞬間の自分をまっさらにして作品を創ります。その瞬間的な造形感覚、空間把握がとても素晴らしいのです。私が、「彼女はとてもセンスがいい。」と言うのはこのことです。
 
 集中し、無心に書くからこそ余計なもの(ああしよう、こうしよう)が入らない。集中しているからこそ無意識ながら全神経・全感覚が紙面の隅々にまで行き届く。こんな時こそその人のいい面、個性、実力が発揮されるのです。

 私が彼女の中で最も評価するのはこの点であり、大きな紙面に楷書で少ない字数をしっかりと、そしてきっぱりと大胆に書く作品において、彼女の独創性はより一層発揮されると私は思っています。
 
 隔年の開催で毎年観ることができないのは残念ですが、首を長くしながら彼女の次回作を楽しみにしていたいと思っています。


  安達蕉苑さんのHP       安達蕉苑さんのブログ
 http://syoen.net/      http://blog.syoen.net/ 

H25⑭個展風景3
 11月6日、14回目となる新作の個展が終了しました。展示作品数50点。この一年間の成果の中から更に厳選した作品群でした。今回、故あって書作家の私が初めて抽象作品にも挑戦しました。
 9月の24日頃から、作品の額入れ等の最終準備に取り掛かりましたが、未経験の抽象作品の発表という慣れないこともあって準備は遅々として進まず、とても間に合わない!・・・と、初日の朝まで焦りに焦りながらの開幕でした。
 その間、ブログは全く手につかず、ひと月以上も更新できないままでしたが、これから少しずつこれらの作品を紹介していこうと思います。

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