増田達治 煤墨の世界

2014年02月

 前回のブログ記事を見た友人が、同じ言葉だけれどまた全然印象の違う作品なので、ブログを見て下さっている多くの方々にも是非見ていただいたら、と早速お仏壇とそこに納まった作品の写真を送ってくれました。
帰山さん宅「生まれ…」①

帰山さん宅「生まれ…」②
 友人は、この作品の方が個展の作品よりも、さらに字に動きと迫力があってとても気に入っている、と喜んでくれています。ありがたいことです。
 
 両作品では、運筆、造形、構成等々が大きく異なっています。使用した筆、墨、紙も同じものではありません。
 
 特に墨については、個展作品は煤墨、この作品では硯で磨った墨を使いました。写真ではどうしても細かいいニュアンスなどは分かりにくいですが、同じ黒でも全く違った雰囲気、表現力を持っています。
 
 それぞれに異なる素材や道具の個性を最大限に生かし、またその能力を存分に発揮させ、いかにして作品としての独自の世界を創り上げるか、それが作家にとっての苦しみであり、また大いなる醍醐味、楽しみでもあるのです。

⑭個展18・3655
 「生まれ生まれ生まれ生まれて生(しょう)の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」

 これは「作品18」(205×405)、弘法大師空海の「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」の書き出しの詩の一節です。「秘蔵宝鑰」とは、密教の世界を開く鍵、あるいは、衆生がもともと深奥に具えている仏性を開く宝の鍵という意味だそうです。

 “この世の全ての生きとし生けるものは、永劫の輪廻のうちにいくたび生まれ変わり、いくたび死に変わろうとも、無知迷妄のうちに生死の意味も、またその始まりも終わりも分からぬままに闇の中を彷徨い続けている。” という意味でしょう。

 私は、高校時代の友人からこの言葉を是非書いてほしいとの依頼を受けました。お母さんを亡くされ、またしばらくしてお父さんを亡くされた友人が、仏壇の中にこの言葉を書いた作品を収めたいとのことでした。
 そのお仏壇は高さ、幅共に35㎝程、奥行きが15㎝程の小ぶりのもので、お父さんが生前に思いを込めて手作りで制作された素朴なものでした。そのお仏壇の奥にこの言葉を静かに置きたいと言われたのです。
 
 作品を収めるスペースは218×334(㎜)。私はそれより少し小さめに作品を創って裏打ちし、そのサイズに合わせてマットを切り抜いて窓を作り、裏から作品を貼り付けました。
 平成22年の12/30に友人宅に持参。作品はそのお仏壇の奥に、釘も接着剤も使うことなく寸分の隙もなく嵌め込まれ、ぴったりとしっかりと収まってくれました。
 
 それ以来、私はこの言葉を幾度となく書き続けています。

 昨年の個展では、まずコラージュによる抽象作品から制作を始めました。その後、筆によるストロークを生かしたドローイングを主とする抽象作品に移行し、4月に入ってからようやく書作品の制作に取りかかりました。
 ドローイングによる抽象作品を紹介する前に、書作品を何点か紹介します。

 まず、「作品19」(240.6×329.4)。これは臨済宗中興の祖と称される江戸時代の禅僧、白隠慧鶴(はくいんえかく・1685~1768)の言葉。
⑭個展11・3659
 
 この作品は、白隠の「寝惚之眼覚」の中の言葉、
 「神や仏に形はないぞ、形なければ俗には知れぬ、やむこと得ずに形を表ず、形によるな名によるな、よればすなわち迷いなり。」
 の後半部分を切り取って書いたもので、白隠自身がこの文で伝えようとしたこと、それに加えて、あるいはまた独自にこの文を読み解くことによって、各自がそれぞれ自由に解釈・理解し、味わうことのできる言葉になったのではないかと思います。

 今回の書の制作は、この言葉との出会いあたりから始まりました。









                                                  

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