私が生まれ育った平野にある真言宗のお寺「長寳寺」。去る5月18日(日)は、えんまさんの寺としても知られる「長寳寺」の閻魔さんの日でした。
毎年この日は秘仏「十一面観音」(坂上田村麻呂の守護仏)と「えんま大王」の年に一度だけのご開扉があり、さらに本堂、大師堂の他、境内の至るところでさまざまな催しが行われます。
これは入り口の山門。
室町時代に書かれた「長寳寺縁起 よみがえり草紙」の口語訳冊子(伊藤資郎訳・平成25年3月25日改訂)中のお寺の由来によると、
「当寺開基の慈心大姉は、坂上田村麻呂の娘で俗名を春子といい、もと桓武天皇の妃であった。延暦25年(806)桓武天皇崩御によって、春子は弘法大師に帰依して剃髪し、父坂上田村麻呂が大同年中(806~10)に創建した長寳寺の開基となったのである。縁起によると、当寺の本尊・十一面観音像は坂上田村麻呂の守護仏で春日(中世春日神社に属し、仏像や神像を作った技術者集団)作と伝わる。…中略…
『平野郷町誌』によると、現在の本堂と庫裡は、天保年間(1830~44)第33代慈源大姉の代の再建という。」とあります。
そもそもこのあたりは、蝦夷の平定で大功のあった征夷大将軍・坂上田村麻呂の子である坂上広野麻呂の領地、荘園であったことから、当初は「広野」と呼ばれ、後に訛って「平野」になったと言われています。
この写真の中央が大師堂(元、田村堂)。
この大師堂では毎年異なる展示や催しが企画されますが、今回は私が院主さんの依頼を受けて書作展を開催することになりました。
展覧会名は「増田達治書作展」。サブタイトルは、「真言の扉-空海の言葉を始めとして-」としました。
昨年の個展では、先日ブログでも紹介した空海の言葉、「生まれ生まれ生まれ…」をはじめ、道元、白隠、良寛などの禅僧の言葉を作品にし発表しましたが、それらを含め、計23点を展示しました。
毎年この日は秘仏「十一面観音」(坂上田村麻呂の守護仏)と「えんま大王」の年に一度だけのご開扉があり、さらに本堂、大師堂の他、境内の至るところでさまざまな催しが行われます。
これは入り口の山門。
室町時代に書かれた「長寳寺縁起 よみがえり草紙」の口語訳冊子(伊藤資郎訳・平成25年3月25日改訂)中のお寺の由来によると、
「当寺開基の慈心大姉は、坂上田村麻呂の娘で俗名を春子といい、もと桓武天皇の妃であった。延暦25年(806)桓武天皇崩御によって、春子は弘法大師に帰依して剃髪し、父坂上田村麻呂が大同年中(806~10)に創建した長寳寺の開基となったのである。縁起によると、当寺の本尊・十一面観音像は坂上田村麻呂の守護仏で春日(中世春日神社に属し、仏像や神像を作った技術者集団)作と伝わる。…中略…
『平野郷町誌』によると、現在の本堂と庫裡は、天保年間(1830~44)第33代慈源大姉の代の再建という。」とあります。
そもそもこのあたりは、蝦夷の平定で大功のあった征夷大将軍・坂上田村麻呂の子である坂上広野麻呂の領地、荘園であったことから、当初は「広野」と呼ばれ、後に訛って「平野」になったと言われています。
この写真の中央が大師堂(元、田村堂)。
この大師堂では毎年異なる展示や催しが企画されますが、今回は私が院主さんの依頼を受けて書作展を開催することになりました。
展覧会名は「増田達治書作展」。サブタイトルは、「真言の扉-空海の言葉を始めとして-」としました。
昨年の個展では、先日ブログでも紹介した空海の言葉、「生まれ生まれ生まれ…」をはじめ、道元、白隠、良寛などの禅僧の言葉を作品にし発表しましたが、それらを含め、計23点を展示しました。