昨年の個展(11/1~6)のタイトルは、「増田達治の書と抽象-私にとっての抽象-」でした。

 二〇代の頃から、私は一つの紙面の中に、書(文字=言葉)のみならず煤墨によるさまざまな模様や平面造形を同時に構成し配置してきました。それは文字、あるいは言葉が置かれる場であり、また私の心象風景でもありました。そしてこれは、私の書作品を成立させる上での重要かつ必然の要素でもありました。

 私はこの多様な美しさと意外性に満ちた不思議な表現力を持つ煤墨の世界を、書のみならず、抽象の世界でも表現してみたい、と実は以前から思っていました。

 そしていよいよ今回、本格的に抽象作品に取り組むことを決意しましたが、制作を始めるに当たって、私は当然ながら、単なる偶然や魅力的で美しい豊かな表現力を持つ煤墨の戯れだけに頼るのではなく、私自身の美意識や世界観を表現しなければならないと考えました。

 昨今、ネット上でも散見する書家(世に出ている人でもほとんどは素人ですが…)が発表している抽象的な作品も、墨をこぼしただけのような単なる偶然模様のようなものばかりであり、そこには創造の跡が見当たりません。またそれ以上に本業であるはずの書作品はさらに幼稚なもので、私から見ればこれらの抽象制作は極めて安易な横滑りであり、困難かつ厳しい書作の世界からの逃避、ごまかしであると言っていいでしょう。(いや、そんな問題意識さえないと思われますが…)
 私の抽象への挑戦はこれらに対するアンチテーゼでもあります。つまり、やるなら本気でやれ、という…。

 ちょっと脱線してしまいましたが、私は作品を偶然から必然へと昇華させるために、まず、コラージュから始めることにしました。
 ⑭抽象12・3778
                    抽象12(410×302.5)