先日紹介の「抽象12」と同じく、抽象制作の初期に取り組んだコラージュによる作品「抽象19」(333×242)です。
⑭抽象19・3749
 コラージュ、といっても煤墨を使って制作した抽象形態の上にカッターで鋭く切り取った一枚の赤い紙を貼り付けただけです。
 しかし、この赤があるのとないのとでは作品の世界は全く違ったものとなります。
 私の美意識や詩情、紙面構成の考え方、バランスの取り方など、私の今現在(いや、もう制作当時の…ですが)がここにあります。
 もちろん、煤墨によるバックの風景だけでもとても美しく面白いのですが、これをさらに自立した独創的な作品にするためには、また全く異なる美的な要素を加えて私ならではの世界を創り出す必要があるのです。

⑭抽象22・3755
 この「抽象22」(333×242)は、中央の縦の溝の辺りに、色鉛筆で赤い線を入れました。
 写真では分かりにくいかと思いますが、全てを一本の赤鉛筆で画いたわけではありません。色相の異なる赤を太細、剛柔、強弱、粗密、遅速などの変化をつけ、多様な線質で画き込んでいます。
 観る人はそんな複雑で細やかな仕事やニュアンスの違いには気がつかないかもしれません。いや、評論家でもない限り、そんなことに気づく必要もないかもしれません。
 しかし、たとえ気がつかなくても、あるいは理由を分析できなくても、確実に、そこに現れた豊かな空間や、さまざまな表情と線質が織りなす多様性の世界を、観る人は無意識の内に心地よいもの、あるいは美しいもの、豊かなものと感じ取っているはずです。
 そして私は、柔らかく流動的で融通無碍な煤墨と赤い線の上に、切れ味の良い鋭角的な鉤型の紙をコラージュしました。
 このようにして、不思議で面白く美しくはあったが、どこか無限定でとりとめのなかった煤墨による白黒の世界は、内臓を得、血が流れ、手足を与えられて有機的な生命を獲得したのです。