2月17日(火)、5年間非常勤講師として勤めてきた今宮高校での最後の授業を終えてきました。
14年前、私は書作に専念するため大阪府(当時は教育委員会勤務)を退職。もう二度と教壇に立つことはないと考えていたので、退職後の何年かは母校をはじめ多くの高校から講師の依頼を受けましたが、もちろん全てお断りしてきました。
ところが平成22年の3月、私はもう授業はしないということが既に周知のこととなっていたにもかかわらず、今宮高校の早崎公男先生から講師依頼の電話が入りました。もちろんお断りしたのですが、結局後日、一日だけならということでお引き受けすることになりました。後に早崎さんからで聞いた話ですが、「どうせダメだろう」と思いつつイチかバチかで電話をしたとのことでした。
この時、既に退職してから丸9年。私は人と会うことも会話をすることもほとんどないような毎日を過ごしていたので、そろそろ外に出て少しは世間とも関わり、人とも接触した方がいいのでは、とも考えたのでした。
が、何よりも大学時代にいろいろと教えを乞い、大変お世話になった先輩の早崎さんがいよいよその3月末をもって定年退職し、4月からは特別任用という形で新たな出発をされるというその年度末のギリギリのところでとても困っておられる様子を見て、少しでもお手伝いができるのなら、とお引き受けすることにしたのです。
実はこれまでにも一度ならず早崎さんから依頼を受けたことがあったのですが、その都度お断りしていたのでした。
しかし、腰の重い私を動かした最大の理由は、早崎さんの今宮高校における教育実践の素晴らしさです。私は彼の書道教育への取組み、その実践と成果を以前から注目し、高く評価していたのです。今宮の生徒作品は府下はもちろん、全国的に見ても最も新鮮で創造性に溢れ、生き生きと輝く大変魅力的なものでした。
早崎さんの授業は、大病を患い死を意識せざるを得なくなった頃から、そして今宮高校が普通科から総合学科へと変わる頃から大きく変貌しました。
彼は、自身の大きな転機の中で、生徒が持つ無限の能力、創造性、そして未知の可能性に気づいたのでした。これまでの臨書(古典などの名品あるいは先生が書いたものをお手本にし、真似て学ぶこと。書道における最も一般的な学習、練習方法)による技術指導や古典の学習を中心とした指導から、生徒自身による自主的自発的な「創作」を中心とする創造性開発の授業に転換したのです。
これは、私が美原高校で20数年にわたり、書道の教員として取組んできた授業、その実践と考え方に合致するものでした。私は早崎さんの授業実践とその中から必然的に生まれた今宮生徒の作品を、いち早く評価してきたのです。
しかし、私が美原高校で行ってきた授業、そしてその中で生徒たちが創り出した作品と、今宮高校の生徒たちが早崎さんの指導の下で日々創造する作品は、その表現が全く違っており、それぞれに異なる個性を持っています。この違うということが大切であり、また当然そうあるべきことなのです。
なぜならそれは、生徒の可能性を信じ、その創造性を引き出し、彼らが今でしか表現することのできないたった一つの作品を創ってほしいと願う気持ちは同じでも、その具体的な引き出し方には公式や模範解答があるわけではなく、教員の一人一人が自らの考えと創意に満ちた努力と経験で創り上げるべきものだからです。
各学校の担当教員による年間の指導計画、そして何よりもその中で生まれる生徒作品は、教員の書及び書道教育に対する考え方、そして実践力、指導力、熱意など、教員としての姿勢とその実力の全てを映し出すまさに“鏡”です。
私は教諭時代、指導主事時代を通して大阪府の高等学校書道教育研究会等で機会あるごとに早崎さんの実践について紹介し、また書道の教員たちに見習うよう薦め、そしてまたその成果を正当に評価するよう訴えてきました。
が、充実した創作授業の実践はなかなか広がらず、また進まず深まらず、というのが現状ではないか、と思っています。とても残念なことです。
これは1/27(火)~2/1(日)に開かれた大阪府高等学校書道展(於.大阪市立美術館)における今宮高校の作品群。授業作品と書画部作品が展示されています。早崎さんにとっても私にとっても、これが今宮高校での最後の高校展展示となりました。
14年前、私は書作に専念するため大阪府(当時は教育委員会勤務)を退職。もう二度と教壇に立つことはないと考えていたので、退職後の何年かは母校をはじめ多くの高校から講師の依頼を受けましたが、もちろん全てお断りしてきました。
ところが平成22年の3月、私はもう授業はしないということが既に周知のこととなっていたにもかかわらず、今宮高校の早崎公男先生から講師依頼の電話が入りました。もちろんお断りしたのですが、結局後日、一日だけならということでお引き受けすることになりました。後に早崎さんからで聞いた話ですが、「どうせダメだろう」と思いつつイチかバチかで電話をしたとのことでした。
この時、既に退職してから丸9年。私は人と会うことも会話をすることもほとんどないような毎日を過ごしていたので、そろそろ外に出て少しは世間とも関わり、人とも接触した方がいいのでは、とも考えたのでした。
が、何よりも大学時代にいろいろと教えを乞い、大変お世話になった先輩の早崎さんがいよいよその3月末をもって定年退職し、4月からは特別任用という形で新たな出発をされるというその年度末のギリギリのところでとても困っておられる様子を見て、少しでもお手伝いができるのなら、とお引き受けすることにしたのです。
実はこれまでにも一度ならず早崎さんから依頼を受けたことがあったのですが、その都度お断りしていたのでした。
しかし、腰の重い私を動かした最大の理由は、早崎さんの今宮高校における教育実践の素晴らしさです。私は彼の書道教育への取組み、その実践と成果を以前から注目し、高く評価していたのです。今宮の生徒作品は府下はもちろん、全国的に見ても最も新鮮で創造性に溢れ、生き生きと輝く大変魅力的なものでした。
早崎さんの授業は、大病を患い死を意識せざるを得なくなった頃から、そして今宮高校が普通科から総合学科へと変わる頃から大きく変貌しました。
彼は、自身の大きな転機の中で、生徒が持つ無限の能力、創造性、そして未知の可能性に気づいたのでした。これまでの臨書(古典などの名品あるいは先生が書いたものをお手本にし、真似て学ぶこと。書道における最も一般的な学習、練習方法)による技術指導や古典の学習を中心とした指導から、生徒自身による自主的自発的な「創作」を中心とする創造性開発の授業に転換したのです。
これは、私が美原高校で20数年にわたり、書道の教員として取組んできた授業、その実践と考え方に合致するものでした。私は早崎さんの授業実践とその中から必然的に生まれた今宮生徒の作品を、いち早く評価してきたのです。
しかし、私が美原高校で行ってきた授業、そしてその中で生徒たちが創り出した作品と、今宮高校の生徒たちが早崎さんの指導の下で日々創造する作品は、その表現が全く違っており、それぞれに異なる個性を持っています。この違うということが大切であり、また当然そうあるべきことなのです。
なぜならそれは、生徒の可能性を信じ、その創造性を引き出し、彼らが今でしか表現することのできないたった一つの作品を創ってほしいと願う気持ちは同じでも、その具体的な引き出し方には公式や模範解答があるわけではなく、教員の一人一人が自らの考えと創意に満ちた努力と経験で創り上げるべきものだからです。
各学校の担当教員による年間の指導計画、そして何よりもその中で生まれる生徒作品は、教員の書及び書道教育に対する考え方、そして実践力、指導力、熱意など、教員としての姿勢とその実力の全てを映し出すまさに“鏡”です。
私は教諭時代、指導主事時代を通して大阪府の高等学校書道教育研究会等で機会あるごとに早崎さんの実践について紹介し、また書道の教員たちに見習うよう薦め、そしてまたその成果を正当に評価するよう訴えてきました。
が、充実した創作授業の実践はなかなか広がらず、また進まず深まらず、というのが現状ではないか、と思っています。とても残念なことです。
これは1/27(火)~2/1(日)に開かれた大阪府高等学校書道展(於.大阪市立美術館)における今宮高校の作品群。授業作品と書画部作品が展示されています。早崎さんにとっても私にとっても、これが今宮高校での最後の高校展展示となりました。
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